入間市の市制施行は、昭和41年11月1日であったが、その歴史はかなり古くまでさかのぼることができる。すでに、縄文時代に先人が住みついていたことは縄文式土器の発掘によって明らかにされており、その中でも坂東山遺跡は最大で住居跡や土器等が数多く発掘されている。
入間市の古代における遺跡のうち、代表的なものとして東金子窯跡群があり、ここでは主に国分寺瓦が造られた。聖武天皇時代、全国に設けられた国分寺に奉献された瓦のなかには、入間の郡名を見ることができる。 中世においては、武士団が勢力をもち入間市でも村山党の金子氏、宮寺氏及び丹党の加治氏などが武蔵武士団の一員として活躍した。この時代の史跡として瑞泉院には、金子氏一族の宝篋印塔がみられ、高正寺にも巨大な板碑が遺されている。 また、入間市を初めとする周辺地域に遺された板碑は、数多く中世期における当地方の活動状況を表すものであり、特に円照寺の加治氏板碑は同氏が政治的にも深く係わりをもっていたことを示している。 江戸時代当地方は、天領、藩領、旗本領と支配が入り混じっていたものの経済活動は活発化していった。特に江戸末期において扇町屋は、穀物市や木綿市が立ち、地域経済の拠点として栄えた。 明治期に入り、現在の入間市の原型ともいえる町村(豊岡町、金子村、宮寺村、藤沢村、東金子村、元加治村、元狭山村)が成立し、また繊維工業のめざましい発展がみられた。戦後、町村合併が促進され、昭和31年9月30日、豊岡町、金子村、宮寺村、藤沢村及び西武町の一部(旧東金子村)をもって合併し武蔵町が発足した。 その後、昭和33年10月、元狭山村の一部を合併し、昭和41年11月1日、埼玉県で25番目の市として「入間市」が誕生した。さらに、昭和42年4月1日、西武町との合併もなり現在の市域を構成するとともに首都圏近郊都市としての行政基盤が確立された。(入間市HPより引用) |
県の南部に位置。市域の東に西武池袋線、西にJR八高線が走り、中心を圏央道と国道16号が通る。住宅都市として発展したが、工場誘致を早くから行い、武蔵工業団地などを中心に、非鉄金属製造や電機・輸送機器関連などの事業所も多く立地。鎌倉時代から茶が栽培され、狭山茶の主要産地。2000年に狭山市との合併案がありましたが2005年に実施した住民投票の結果、実現しませんでした。アウトレットモールやコストコが所在。総人口約145,000人 |
入間市の気候は、年間を通じて気温の変化が大きく、夏は短く蒸し暑く、冬は非常に寒く晴れの日が多いのが特徴です。年間を通じて気温は-1℃から31℃程度で、これより極端に低い気温や高い気温になることは稀です。 年平均気温:14.7℃
市内を流れる入間川が氾濫することがありますが高台に立地するグリーンヒルはその影響を受けません。 |
入間市の刑法犯認知件数は1,017件で、人口1,000人当たりの犯罪率(1000人あたり)は6.98件です。この犯罪率は、埼玉県全体の犯罪率平均よりもやや高めですが、埼玉県内では中程度のレベルに位置します。 |
物件概要 |
建物名 | 西武狭山グリーンヒル |
所在地 | 埼玉県入間市大字上藤沢406~407 |
竣工年 | 1974年 |
棟数/戸数 | 18棟/550戸 |
建物構造/建数 | (PC)プレキャスト工法/地上5階建 |
用途地域 | 第一種住居地域 |
間取り | 3DK、3LDK、4LDK |
交通 | 西武池袋線 武蔵藤沢駅 バス12分 西武グリーンヒル下車 |
主要採光 | 南 |
インフラ | 公営水道、都市ガス、下水道、インターネット、モニター付きインターホン、エレベーター無し、 駐車場、バイク駐車場、自転車置き場 |
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