ファミリーマート
入間グリーンヒル店:0.6km

イオンスタイル入間:0.8km

ヨークマート入間店:0.7km

西武狭山グリーンヒルは18棟からなる団地構成であるため集会所を起点として各々の距離を表示しております。

入間市立藤沢小学校:0.8km

西武池袋線 武蔵藤沢駅:2.3km

JR八高線 金子駅:8.0km


 
 
入間市の特色

県の南部に位置。市域の東に西武池袋線、西にJR八高線が走り、中心を圏央道と国道16号が通る。住宅都市として発展したが、工場誘致を早くから行い、武蔵工業団地などを中心に、非鉄金属製造や電機・輸送機器関連などの事業所も多く立地。鎌倉時代から茶が栽培され、狭山茶の主要産地。2000年に狭山市との合併案があり2005年に実施した住民投票の結果、実現しなかった。アウトレットモールやコストコが所在。総人口約145,000人

気候

入間市の気候は、年間を通じて気温の変化が大きく、夏は短く蒸し暑く、冬は非常に寒く晴れの日が多いのが特徴です。年間を通じて気温は-1℃から31℃程度で、これより極端に低い気温や高い気温になることは稀です。 年平均気温:14.7℃
市内を流れる入間川が氾濫することがあるが高台に立地するグリーンヒルはその影響を受けません。


入間市内水ハザードマップ:浸水実績図 (外部サイト)


治安

入間市の刑法犯認知件数は1,017件で、人口1,000人当たりの犯罪率(1000人あたり)は6.98件です。この犯罪率は、埼玉県全体の犯罪率平均よりもやや高めですが、埼玉県内では中程度のレベルに位置します。

街の住みここちランキング (外部サイト)


 
交通

・鉄道
1915年(大正4年)に現在の西武鉄道の本流である武蔵野鉄道が開業し池袋~飯能間が開通。1945(昭和20)年、武蔵野鉄道と(旧)西武鉄道が合併し、西武農業鉄道に改称。その翌年1946(昭和21)年11月15日に現在の名称「西武鉄道」となった。1969(昭和44)年、武蔵野鉄道の吾野開業以来の夢だった西武秩父線が開業。 特急レッドアロー号で池袋からわずか80分台(開業時)、東京から秩父へのメインルートになった。
1983(昭和58)年、西武有楽町線が新桜台-小竹向原間で開業。 1994(平成6)年に池袋線と繋がり、1998(平成10)年に東京メトロ有楽町線と相互直通運転が開始された。
1993(平成5)年、西武新宿と本川越を結ぶ特急「小江戸」号<ニューレッドアロー10000系>が新設された。翌年には池袋線にも採用され、元祖特急レッドアロー号5000系が引退となった。
2008(平成20)年から東京メトロ副都心線への乗り入れがスタート。 さらに2013(平成25)年には東急東横線、みなとみらい線に乗り入れ、元町・中華街までつながった。
・道路
1996年、首都圏中央連絡自動車道(圏央道45番)青梅IC - 鶴ヶ島JCT間開通に伴い、供用開始。 三井アウトレットパーク 入間・コストコ - 2008年4月4日のオープン以来、休日を中心に出口・周辺道路で渋滞が慢性化している。

 
 

西武鉄道 歴史・沿革 (外部サイト)

 
 
 

 

 

三井アウトレットパーク入間:2.5km

コストコホールセール入間倉庫:3.3km

ローソンユナイテッドシネマ入間:3.1km


旧石川組製糸西洋館:4.3km

ムーミンバレーパーク:10km

三峰神社:75km


 

 
旅立ちの地
 

入間市は407号(入間市→栃木県足利市)、463号(入間市→越谷市)、299号(入間市→長野県茅野市)それぞれの国道の起点(終点とも言うが)あり古くは宿場町として、現代では車社会において重用されてきた。
2011年、人生において大きな転機を迎えた私は住まいを入間市に移した。幾つかあった候補の中でこの地を選んだ最大の理由は、どこにでも出られるから。1980年代中頃、中学を卒業した私は時代の流れに沿って原付免許を取得。間髪を入れず中型免許も取得し上の姉のスクーターを借りて高校に通ったものだった。やがて親元を離れたが移動手段は専ら電車で入間市内(グリーンヒルではない)に転居してみるとキツイ坂が多くバイクの必要性を強く感じた。40歳になったばかりの私ですら休み休み進まないと登り切れない坂が点在していた。それは即ち水害に遭わない場所と言えるのだが納車した中国製のそれにピンクのナンバーを取り付けるまでそれほど時間がかからなかった。

 どこにでも出られる場所を選んだ私の最初の目的地は奥多摩だった。澄んだ秋の空気を切り微かに見える富士山に向かい、やがて走行距離たったの28000kmで壊れてしまう中国性のそれを走らせる。極貧の中で生きてきたJJ 一家だったが、2番目の姉におかずを奪われては悲しい思いをしてきた私を不憫に感じてか母が時折作ってくれる人数分のプリンだけは盗られまいと固まるのを待たずに1つ残らず飲んでいたものだったが、当時人気があったお茶の飴だけは仲良く分け合っていたことを思い出させるような緑濃い茶どころ通りを経て国道411号へ。幼少期の苦い記憶と同じように少しビターな味だったお茶飴だが無性に口に放りたくなる。
「ここで仮面ライダーの宿敵、蜘蛛男が散ったのか・・・」そんなことを思い出しながら小河内ダムを見ていると、そういえばイカデビルの正体は死神博士だったんだよなと思うと、いや死神博士の正体がイカデビルだったのではないか・・・と自問したがその答えが出ぬまま奥多摩周遊道路を通って帰宅した。
 その後、鶴岡八幡宮や富士山そして大好きな秩父はもちろん日光東照宮・浅間山・母の生家である那須など猫を飼っていた都合上、シタミチで尚且つ日帰りの範囲内ならどこへでも行ったが甲府帰りの花魁渕ではヤバい霊を連れて帰ってしまったようで生きてるのが奇跡としか思えないような大きな事故に遭った。いつも要所で先手を打ってくれた母だったが、星になった後でも私を救ってくれている。「もういいよ」「もう大丈夫だよ」と呟くのだが、私に出来ることはそれを感じ感謝することしかないのだろうか。母のような存在を目指そうか。それにしてもあのヤバくて怨嗟の塊ともいえる凶悪な霊の企図を祓ってしまう母の力は凄い。
 
 冒頭の国道299号には特別感があり強くおススメする。目的地は霧ヶ峰。到着すると天空を走っているような錯覚に陥る。目を奪われて脱輪した車を行く度に見る。R463号BP→茶どころ通り→埼玉県道63号→山伏峠→R299→秩父→小鹿野→志賀坂→十国峠→麦草峠→メルヘン街道→ビーナスライン→霧ヶ峰。約180km、休憩を挟めば片道6時間位の行程。国道としては日本で二番目に標高が高く6月でも雪が残っていることが珍しくない麦草峠は寒さ対策が必要になる。また、酷道と呼ばれる十国峠は電波が無いため事故に遭うと救急車の呼びようがなく通りすがりの車に助けを請うたところで病院まで搬送してもらうくらいしか成すすべがない。圧迫止血、肋骨に入ったヒビは気づかないフリでやり過ごそう。立ちションするとスズメバチの怒りを買い襲い掛かられるが謝るしかない。酷道は街灯が少なく山間は暗くなるのが早いため日帰りで行く場合、6時くらいに出発して正午に到着したら速攻帰路の準備をしなければならず、ご当地料理を堪能する余裕はない。行くのが目的ではなく道中の景色とスリルを楽しむと思えばどんなにお尻が痛くても長い道のりも良いものである。霧ヶ峰の美しい緑を見られる期間は決して長くはなく、それら全てを考慮すると最も適しているのは7月半ば~8月上旬と断言する。
 
  2023年暮れ、買い替えを検討して50以上のマンションを見てきたが、たどり着いたのは同じ入間市のグリーンヒルだった。それはこの地が旅立ちの地として最高だったから。 ありがたいことに2025年バイク駐車場が稼働した。構想から10年を要したと言う。早速熱狂的なライダー達によってツーリングクラブ発足の動きがあるとかないとか。クラブ名は"センタースタンド"らしい。このダサいネーミングにどんな由来があるのかは知らないが、それぞれ慎ましく跋扈して欲しいと願う。バイク駐車場は2025年現在若干の空きがある。1000円/月(年払い/自動更新/排気量規制なし)要標識交付証明書及び車検証

文・JJ


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